カテゴリー「人類学の本」の記事

銃・病原菌・鉄 (Guns, Germs, and Steel)

『銃・病原菌・鉄-13000年にわたる人類史の謎』 ジャレド・ダイアモンド/倉骨彰訳 草思社 2000年

 生物学者の著者がニューギニアで鳥類の生態調査をした際に、現地人協力者から受けた「どうしてあなたたち白人は、世界の富と権力の大部分を握ることが出来たのか?」という素朴な問いかけから本書ははじまる。そこから世界の人類すべてが狩猟採集で暮らしていた13000年前の最終氷期の終わりを起点に、人間社会の生業、技術、疫病、政治構造等がどのように変遷・展開した結果、白人が主導権を握る現代に至ったのかを謎解きの面白さに満ちた平易な文章で描き出していく。タイトルの「銃・病原菌・鉄」とは、白人が他の大陸を植民地化できた直接的要因を凝縮して表現したものだが、本書の表紙にはこれらの要因がもっとも劇的に作用した歴史的事件として、スペインの征服者ピサロがインカ皇帝アタワルパを捕らえた場面が描かれている。

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カネと人生

『カネと人生(くらしの文化人類学5)』 小馬徹編 雄山閣 2002年

 カネは、火、文字と並んで人間の三大発明といわれる。人間は暮らしの利便を求めてカネを発明したはずなのだが、いつのまにか多くの人間が、カネに振り回されて生きるようになっている。カネが使われ始めた時点では、生活必需品を入手するための手段に過ぎなかったはずなのに、現代日本のような高度資本主義社会では、カネの欠乏によって市場交換から排除されることが、そのまま社会からの排除にまでなってしまう。どのようにして人間社会におけるカネの占める位置は巨大化してきたのだろうか。本書は文化人類学の視点からこの疑問に答えるべく、対象社会におけるカネの浸透度を目安に「カネとの出会い」「はざまを生きる」「市場経済のただ中で」という三部構成をとり、カネのいらない社会からカネ無しでは埒の開かない社会までの様々な局面を描いていく。また編者が各著者に対して、論文等では軽視されがちな調査時の逸話や感情の動きを積極的に描くよう依頼したこともあって、表題の「カネと人生」にふさわしい面白い読み物になっている。

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民族幻想論-あいまいな民族つくられた人種

『民族幻想論-あいまいな民族つくられた人種』 スチュアート ヘンリ 解放出版社 2002年

 本書は、そのキーワードである「民族」や「人種」といった概念が、その時々の社会状況に応じて形成され再構成される、権力によって操作可能なものだということ、同時にまた、その概念は人々にとって政治・経済・文化等に大きな影響を及ぼす現実そのものだということを、著者が放送大学で行っている講義のように、初学者にもわかりやすい平易な文章で綴った、人類学的視点からみる民族入門書だ。著者によれば、「人種」間の遺伝子の違いは、アフリカの東と西に生息するチンパンジーの違いよりも小さいものにすぎないそうだ。それにもかかわらず、近代ヨーロッパ人(また今の日本人も)が肌の色を中心とする身体的特徴によって人類を分類するようになった理由は、アフリカの黒人を奴隷労働力にしたことへの後ろめたさから来ているという。つまり、黒人の黒い肌は道徳的な堕落と卑劣さを表わすという理屈によって、奴隷制を正当化し植民地支配を免罪したかったからだという。

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なぜカイシャのお偉方は司馬遼太郎が大好きなのか

『なぜカイシャのお偉方は司馬遼太郎が大好きなのか?-カイシャ人類学のススメ』 春日直樹 小学館 2005年

 なぜお偉方は司馬遼太郎が描く侍の物語にひかれるのか? ビジネスと密接な関係がある戦争に興味があるから! なぜ面接ではリクルートカットが求められるのか? それが社会人への移行を意味するという決まりだから! なぜ新卒学生を採用しつづけるのか? カイシャは学校をモデルにした年令階梯制度を持つ「社」だから! なぜ社員は不快な満員通勤電車にガマンできるのか? 主体性が強くて自分自身の身体を調教しているから! なぜ社員はカイシャのために一生懸命になるのか? カイシャが持つ宗教的魅力に夢中になってしまうから! なぜカイシャは成果主義だ年功序列だと給料制度をコロコロ変えるのか? 競争と平等は人間社会が誕生して以来続く2大原理だから! なぜ国家ごと民営化=カイシャ化することはできないのか? 国家とカイシャとは分離しているほうが互いに得で安全だから!

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文明の生態史観

『文明の生態史観(中公文庫)』 梅棹忠夫 中央公論社 1967年

 本書は1950-1960年代に著者がアジア諸国を調査・旅行した経験を踏まえて、ユーラシア大陸における諸文明の見取り図を実証的・生態的に描いたものだ。著者は世界における日本の位置付けを熟考し、東洋・西洋という慣習的区分を乗りこえ、ユーラシア大陸を高度な近代産業文明の段階に達した第一地域、およびそうでない第二地域とに区分する。そして、日本をユーラシア東側における唯一の第一地域として、ユーラシア西側の西欧諸国と並行的に進化してきたのだという。第一地域はその特徴として、封建制の存在と早い時期からの市場経済の発達があげられ、第二地域はその特徴として、古くから文明が栄えて専制的帝国を築いたが、封建制を発達させることなく、絶えず遊牧民による破壊的圧力にさらされ続けたことがあげられる。

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レヴィ=ストロース入門

『レヴィ=ストロース入門』 小田亮 ちくま新書 2000年

 レヴィ=ストロースは、人類学から社会科学への最も重要な貢献として、彼が「真正さの水準」と呼ぶ、顔の見える関係からなる小規模で真正な社会様式と、近代になって出現した印刷物や放送メディアによる大規模で非真正な社会様式とを区別したことをあげているという。著者はそれを敷衍し、さらにB.アンダーソンの『想像の共同体』を援用して、共同体が想像されるスタイルの違いを重視する。つまり、親族関係や主従関係のような人格的つながり、顔のみえる人と人のつながりの延長として想像される、生活の場での文化の水準と、マスメディアによって創られる、個人が無媒介にその全体と結びつけられる、近代国民国家での文化の水準との区別である。

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創られた伝統 (The Invention of Tradition)

『創られた伝統(文化人類学叢書)』 E.ホブズボウム・T.レンジャー編/前川啓治ほか訳 紀伊国屋書店 1992年

 本書は歴史学と文化人類学の分野にまたがった画期的な論文集だ。解説を書いた青木保によれば1983年の本書の刊行自体が、新たな概念の創造であり「伝統の創出」になったという。タイトルの「創られた伝統(INVENTION OF TRADITION)」とは、比較的新しい時代に創造・構築され、形式的に制度化された「伝統」や、あるいは日付を特定できるほど短期間のうちに確立された「伝統」を指し、一連の儀礼的・象徴的行為の反復によって特定の価値・規範を植え付け、過去からの連続性を暗示するものだと定義されている。そしてこの創られた伝統が持つ特徴は、伝統的社会における慣習(カスタム)と異なり、過去との連続性がほとんど架空のものだという点にある。恒常的な変化・革新にさらされている近代社会に住む我々にとって、生活の一部分を永久不変の伝統として構造化し、精神的バランスをとる必要があるのだろう。言い換えれば近代化によって生じる社会の隙間を、過去を参照して創られた伝統によって埋め合わせるということだろうか。

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石器時代の経済学 (Stone Age Economics)

『石器時代の経済学』 M.サーリンズ/山内昶訳 法政大学出版局 1984年

 本書は、採集狩猟社会等の非市場社会における交換メカニズムの分析を通して、伝統的社会における経済の意味を実証的に探るものだ。経済人類学でいう実在主義の立場から見れば、伝統的社会における人間の欲求・欲望は無限ではなく、限定されていることになる。この立場から著者は、最も原初的な生業パターンである採集狩猟民の経済について次のように述べる。「狩猟=採集民は、われわれほど労働していない、というのが証拠歴然たる実情なのだ。しかも、たえまのない労働どころか、食物探しは断続的であり、余暇は豊富にあり、他のどんな社会状況でよりも、年間一人当りの日中の睡眠量は多いのである」。なんと昼寝しほうだい!というのだ。

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解釈人類学と反=反相対主義

『解釈人類学と反=反相対主義』 C.ギアツ/小泉潤二訳 みすず書房 2002年

 本書のタイトルになっている「反=反相対主義(anti-antirelativism)」という論文は、著者が執筆当時(1984年)の学界で大きな勢力があった「反相対主義(普遍主義)」の行きすぎに対する批判として執筆したものらしい。世界各地の個々の社会はそれぞれが独自の文化的価値を持っているから、ある社会の価値感を別の社会に単純に当てはめてはならないとする「文化相対主義」の主張について、著者は20世紀前半のアメリカで人種差別主義に対抗するために生じた考えであり、それ自体もひとつのイデオロギーだと述べて、単純に賛同はしない。しかしながら、普遍的価値を持つ制度や思想を生み出して、人類社会に貢献してきたのは西欧近代のみだと強調し、文化相対主義は人類社会を文化の差異によって分断して自文化に閉じこもり、普遍的価値観の存在を認めないニヒリズムだとする「反相対主義」の主張に対しては、容赦なく批判して相対主義的考えを弁護する。反=反相対主義とはこうした著者の複雑な立場を表現している(*)。

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