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文明としての江戸システム

『文明としての江戸システム(日本の歴史19)』 鬼頭宏 講談社 2002年

 本書は歴史人口学が専門の著者による近世日本社会の分析だが、最初に日本史全体にわたる長期的な人口趨勢を提示して、それが直線的な増加を示していないことを強調する。そこに認められるのは人口増加と停滞を繰り返すサイクルだ。すなわち、縄文システム、水稲農耕化システム、経済社会化システム、工業化システムという4つのサイクル、言い換えれば4つの文明システムだ。Husokokuryakuzu

Edosystem  そのうち、著者のいう「江戸システム」の形成に直接かかわる「経済社会化システム」のサイクルというのは少々わかりにくい。これは15~17世紀の人口増加と18世紀の人口停滞状況を指しているが、この変動は貨幣の普及・市場経済の浸透と密接にかかわっているという。著者は農業社会を、室町時代あるいは南北朝の頃を境にして大きく二つに分ける。土地に基礎を置く農業中心の社会という点は同じだが、経済システムはその前後で大きく異なっているのだという。中世の日本では貨幣(渡来銭)の使用が徐々に普及していき、13世紀から14世紀にかけて年貢を貨幣で納入させる代銭納荘園が急増し、また荘園内市場が各地に成立する。同時期に「備蓄銭」と呼ばれる大量の貨幣の埋蔵も行われるようになる。もっとも市場経済化の歩みはそれほど急激ではなく数世紀にわたってゆっくりと進んだようだが、江戸時代に入る頃には貨幣や市場の役割は無視できないほど大きなものになっていたようだ。

 経済社会化による15~17世紀の人口増加の主要因は、荘園制下の隷属農民が自立し世帯を持ったことによる出生率アップだった。これを農業経営の側面からいえば、生産意欲に劣る隷属農民の粗放的労働に依存していた名主経営が解体し、惜しみなく働く家族労働を主体とする小農経営へ移行したということになるらしい。その後、18世紀に入ると人口の増加が止まって停滞するのだが、その主要因は、飢饉等による積極的制限(いわゆるマルサスの罠)ではなく、間引き・晩婚化等による予防的制限だったという。そして、こうした予防的措置によって、人口は停滞しながらも、一人当たり所得水準や平均寿命の維持あるいは向上が可能になったという(17世紀中旬に1億だった清代中国の人口は19世紀中旬には4億に達する。この果てしない人口増加が社会の不安定化をもたらしたこととは対照的)。実際この時期に、鎖国による貿易の制約もあって、綿・絹・茶・砂糖・タバコなどの主要物産の「輸入代替化」が実現し国内産業は大きく発展している(プロト工業化の進展)。

 市場経済の浸透は農民にどんな影響を与えたのだろうか。生産目的として自給および貢納以外に「販売」という要素が加わることにより利得動機が生まれる。利潤増によって生活水準の向上が可能だと知った農民は生産高アップをめざして、日本型水稲農耕に適する手段である、二毛作等の土地利用の高度化と投下労働量の増大に努力を傾けていく。また労働力の質についてみれば、自発的労働意欲の低い隷属農民や融通の利かない牛馬等の家畜利用よりも、イエのためなら勤勉に長時間働き、かゆい所にも手が届く家族労働を中心にするほうがよい。それゆえ家畜数の減少とともに、晩婚あるいは生涯未婚者が多かった傍系親族や隷属者を抱えていた大家族から、直系親族以外の者が経済成長に伴う新田開発や労働需要の増加によって自立して、家族数の減少による世帯構造の変化(直系家族からなるイエ制度)へと帰結していった。さらに著者は、戦国時代には既にこうした変化が始まっていた経済先進地域の濃尾平野の状況を熟知していた豊臣秀吉が、一地一作人を原則とする太閤検地を行うことによって、政治的に小農単位の農業経営の自立(小農経営の成立)を促したのだと論じているが、さすがは農民出身の天下人秀吉だなと感心した。

 日本人の国民性が勤勉だから、欧米以外の諸地域のなかでいちはやく近代化を達成できたとよく言われる。しかし著者も述べているように、この勤勉さは、日本の歴史が始まった当初からの日本人の性格ではなく、勤勉に働くことによって(イエ単位での)生活水準の向上が可能になった近世という時期に、労働集約型の生産革命と言うことができる(速水融が名づけた)「勤勉革命」によって、土地生産性を上昇させる過程を通して形成されてきたものなのだ。そうすると、仮に日本社会の階層間格差が広がり、勤勉に働いても見返りが期待できないような状況になれば、国民性としての勤勉さは消えていくということになる。そう考えると、もし日本が経済大国の地位を今後とも維持したいというのなら、なによりも社会階層の固定化を防ぐ政策が必要になると思う。また著者によれば、21世紀初頭の日本は工業化システムの人口増加から停滞の局面へと移る曲がり角にあたっている。そうすると現在の少子高齢化の流れも、江戸時代後期の人口停滞期と同様に、人口は停滞・減少させても高い生活水準を維持したいという願いから生じているのだと思う。だとすれば、昨今のメディア報道のようにそのマイナス面のみを強調するのではなく、少子高齢化社会のプラス面(例えば、土地価格の低下)をもっと見るべきではないだろうか。

 エピローグで著者は次のように語る。都会では江戸時代の残り香は大正から昭和初期の頃に消え去り、地方でも高度経済成長が終わった頃には、江戸文明が作り上げた伝統的なムラの風景は消えてしまった。しかしその今になって、江戸時代、特に江戸後期に達成された成熟社会への関心が大きくなっている。なぜなら、江戸前期の急成長のあとに訪れた成熟社会、文明システムを構成する様々な要素が密接に構造化されて安定し、新しい伝統文化が成立した江戸後半の停滞の時代は、工業文明が成熟の段階に達して、持続可能な新しい文化伝統を形成しなければならない現在の我々にとって、ひとつの鏡となる時代なのだから……まさにその通りだと思った。

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いやー、楽しいblogですね。とくに、ビデオクリップが嬉しい。ご挨拶がわりにTBも付けさせて戴きます…、と思いましたが、うまく、TBできなかったので、恐縮ですが、この欄に、リンクを貼らせて戴きます。
日本初期近代(徳川期)における「勤勉革命 Industrious Revolution 」(1)
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2008/03/industrious_rev_6fea.html

投稿 renqing | 2008/07/05 02:55

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