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甘さと権力 (Sweetness and Power)

『甘さと権力-砂糖が語る近代史』 S.ミンツ/川北稔・和田光弘訳 平凡社 1988年

 近代初頭、環大西洋交易の中心的位置を占めるようになったイギリスでは、世界各地の物産が大量に流入して一般民衆にまで消費拡大の動きが波及していく。貿易規模の拡大によって、新たに入手可能になる物産の種類と数量が増加し、人々の需要がそれによって刺激され、以前は奢侈品でしかなかった物産が必需品へと変化していった。その内訳は嗜好品・果物・綿布など多種にわたるが、代表的な例として砂糖があげられる。1650年には上流階層の奢侈品でしかなかった砂糖が、1850年には一般民衆の必需品となっていたが、その過程はどのようなものだったのだろうか。

Sweetness  ニューギニア原産といわれるサトウキビから作る砂糖は、インド・アラビア経由でヨーロッパに知られてからも長い間、上流階層の奢侈品・ステータスシンボルであり、調味料というよりも薬として扱われていた。またサトウキビの栽培には命令系統の行き届いた集団労働が必要なことから、地中海地域での栽培が始まった頃から、奴隷のような強制労働を使ったプランテーション栽培が基本になり、さらに、その栽培が土地の地力を急速に悪化させることから、サトウキビの産地は地中海地域から、マデイラ・カナリア諸島、そしてブラジル・カリブ諸島へと次々と移動していく。17-18世紀にかけて、カリブ諸島でのアフリカ人奴隷を使用したプランテーション生産が急増すると、当時マスコバドと呼ばれた砂糖は次第に一般民衆の手に届く食品になり、19世紀に入ると安価な即効性カロリー源としてイギリス労働者階級の必需品になった。砂糖と同じ時期に普及した中国原産の茶も、当初は上流階層の奢侈品であり薬として扱われていたが、砂糖を加える飲用方法が普及して輸入が急増した結果、貿易赤字が大きな問題となりアヘン戦争やインド植民地での紅茶プランテーションの開発へとつながった。東の端で採れる中国茶と西の端のカリブ諸島の砂糖が、世界経済の中心として有利な位置を占めつつあったイギリスで出会い、砂糖入りの熱い紅茶という新しい組み合わせを生んだことはまさに本書がいうように歴史的事件であり、生産者と消費者の関係そして一般民衆の生活様式の革新、つまり社会の資本主義的再編を象徴する出来事だったといえよう。

 本書の冒頭に載っている「アフリカとアメリカに支えられるヨーロッパ」という絵が当時の状況を端的に表わしているようだ。ヨーロッパから出発して、アフリカ・新大陸を巡る有名な環大西洋三角貿易のうち、大量の黒人奴隷がアフリカから新大陸へ運ばれた「中間航路」では、商品として船倉に詰め込まれた人間の悲惨な運命が繰り返されていたのだが、ヨーロッパの港で取引される商品を眺める分には、その華やかさしか見えてこない。けれども、ヨーロッパからは見えないアフリカ人やネイティブ・アメリカンの犠牲によって、近代ヨーロッパの経済的繁栄が支えられていたことを改めて認識させられた。さらにイギリスの砂糖消費が急拡大した理由として、強制労働力の確保などプランターによる生産努力だけでなく、砂糖のように短時間でカロリー補給できる食品こそ、普及しつつあった工場制度下の労働者にふさわしいという、企業経営者の強い意向が働いていたとの指摘には考えさせられる。当時、カリブ諸島の奴隷労働者とイギリスの工場労働者は、互いにその存在を意識することはほとんど無かっただろうが、どちらのカテゴリーも権力者の意向に沿った税制の操作などによって、形成されてきたのだという本書の記述は政治というものの重要性を再認識させてくれた。

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