ヌアー族 (The Nuer)
『ヌアー族-ナイル系一民族の生業形態と政治制度の調査記録』 エヴァンス=プリチャード/向井元子訳 平凡社 1997年
本書は1940年に刊行された、スーダン南部でのフィールドワークに基づいた民族誌の古典的名作だ。ヌアー族は牛飼いの遊牧民として、執筆当時のイギリス・エジプト共同統治政府による統治・干渉をほとんど受けることなく、ほぼ全裸に近い状態で氏族単位の生活を営んでいた。著者が本格的な民族誌として、広範囲にわたる彼らの生活全般を詳細に記述していくには、言語を習得することの困難さから始まって、部族間の紛争による治安の悪さ、住民の部外者への敵対心など、様々な困難があったことがわかる。
最初に、牛の牧畜をメインの生業とするヌアー族の大きな特徴である、彼らと放牧している牛との間に存在する精神面の強固な結びつきが語られる。実際には牛の牧畜だけで暮らすことは出来ないので、モロコシ(コーリャン)の栽培や漁労も行っているが、牛を乳や肉を生む食料として捉えているのではなく、牛との精神的関係が彼らにとって最大の生きがいになっている。牛が死ぬと「目や心は悲しむが、歯と腹は喜ぶ。」と表現するというのは面白い。次に時間感覚について触れ、彼らが抽象的な時間概念を持っていないことが強調される。1年以内の事ならば季節の変化と関連付けて、それ以上前の事柄は年齢階梯制に基づく社会集団である年齢組と関連付けて語ることはできるが、それでも100年以上前にさかのぼる事はできないらしい。無文字社会においては、過去の重要な出来事は時間的奥行きの中に位置づけられることなく、神々のあいだのストーリー、つまり神話となって、毎年決まった時期に行われる儀礼を通して確認され再生産されるのだという。
本書の核心部分は、ヌアー族の政治制度の分析にある。といっても、拡大家族の集合体である「単系出自集団」(リネージ)、およびその複合体である「氏族」(クラン)のみから構成されているヌアー族社会(「分節リネージ社会」と呼ばれる)には、政治上のリーダーや何事かを他のメンバーに命令できる首長は存在しない。それゆえ政治をより広い意味で捉えて、地域単位でのディンカ族等の他部族との紛争や、ヌアー族内部の争いごとを、どのように解決・調停するかについて詳細に記述されている。その方法のひとつとして、ユニークな「豹皮男」と呼ばれる一種のシャーマンによる「説得」行為などが述べられるが、政府や王様が存在しない比較的単純なヌアー族社会とはいえ、人間社会はユートピアではなく、政治という利害調整機能が欠かせないということを教えられた。
以前『ナイル(野町和嘉著)(野町和嘉著)』という写真集のなかで、(髪を脱色するため)牛の尿で頭を洗っているヌアー族の少年の写真を見たことがあり、なんと原始的な生活を送っている人々だろうと思っていた。しかし本書を読んでみると、その社会を安定させるために必要最小限でかつ巧妙な政治的仕組みが機能していることを知って感心した。それにしても、民主的で複雑な政治制度を持ちながら、多数の国民が政治不信に陥っている現代日本と対照的である。政治家を志す方にぜひ読んでほしい本だ。
さらに知りたいと思ったのは、ヌアー族の周辺他部族と比較しての好戦性が何に由来するかということ、つまり人間社会が昔から抱えてきた戦争や残虐性の起源についてで、その意味では、ディンカ族に子牛を盗まれたという神話が、ディンカ族からの牛の略奪を正当化しているという指摘が興味深かった。ところで、本書は1930年代に行われた調査に基づいて記されたものであり、ヌアー族の現状はかなり変化していると思う。彼らが住むスーダン南部のように、現在も国民国家システムがあまり機能していない地域において昨今のグローバル化はどのような文化変容を引き起こしているのか、内戦下のスーダン南部の悲惨な状況が時々伝えられるが、ヌアー族の現状についてももっと知りたいと思う。
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